いよいよ成田から出発です。
アメリカン航空にて空路空の道ダラスへ。ダラスで乗り継ぎリマへ。ホテルに入ったのは金沢を出てから30時間後でした。

ゆっくり世界遺産リマ旧市街観光。アルマス広場や黄金博物館を見学しました。
インカ帝国を滅ぼしたスペインは二年後の1535年にリマの建設に着手。広場周辺の建物はほとんどが改築や再建されたもの。しかしコロニアル様式を踏襲した建物が多く、カラフルな壁やバルコニーなど独特のデザインが見られました。

 

大統領府で衛兵の交代を見ようと押しかける観光客。警備にあたるポリスと写真撮影をしてしまいました。

 

〔黄金博物館〕
金を中心した展示物が豊富な博物館。プレインカ、インカ時代の金、銀、銅、宝石入りの装飾品が数多く揃う見応え十分の博物館です。

 

〔恋人たちの公園〕
ミラ・フローレスの海岸沿い、水平線を見渡す公園です。抱き合う恋人のモニュメントが存在感を放ち地元カップルのデートスポットです。夕日がとてもきれいだそうです。

夕食はペルーの新鮮な魚介料理“セビーチェ”をいただきました。

 

<ナスカの地上絵>

ペルー南部のナスカには、神秘的な平原が広がります。乾燥した大地に動物や幾何学模様など様々な絵が浮かび上がっています。
乾ききった大地に描かれたいくつもの線や幾何学模様。地上絵が描かれたのはナスカ時代の後半、文明が栄えた1世紀から6世紀ごろと言われています。1世紀から6世紀ごろまでに描かれたナスカの地上絵は700以上にものぼり、上空から見ないと全貌をつかめない巨大な絵は誰が何のために描いたのかは今でも謎に包まれたままです。
深さ5cmにも満たない地上絵だが1,000年以上の時を超えその姿を保っている。その姿を保っている最大の理由は極端に雨が少ない乾燥地帯であったこと。さらに地表近くに空気の層があって風を防いでいることがあげられるそうです。文字による記憶が残っておらず、いまだ多くの謎に包まれた地上絵です。

周囲は不毛の砂漠地帯ですが、世界有数の豊かな海に面していて、そこからとれる多様な海産物は今も昔も人々の命を支えています。

クジラ、コンパス、サル、宇宙飛行士、ハチドリ、コンドル等々代表的な地上絵を確認することができました。深さ5㎝にも満たないそうですが、1,000年以上もその姿を保っていることの不思議!!

最大の理由は極端に雨が少ない乾燥地帯であったこと、さらに地表近くに空気の層があり風を防いでいることがあげられるそうです。

空港を飛び立った飛行機が最初に向かうのが全長63mの世界最大の哺乳類クジラです。

 

<歴史の凝縮したオレンジ色の街・クスコ>

マチュピチュへ行くために誰もが立ち寄るクスコは中央アンデスの標高3399mに位置する都市です。(わぁ富士山より高いところに住んでるなんて!)クスコ市の人口は40万。うち凡そ%が観光業に従事しているといわれるペルーきっての観光地です。

〔クスコを一望する丘〕
観光客がよるところには必ず現地の人が民族衣装を着て、写真撮ってくださいと声を掛けてきます。(もちろん有料です。)日本語で言ってきます(笑)アルパカと民族衣装を着た現地の女性と。

聖なる谷へ向かう途中、コンドルに出会うことができました。コンドルの大きさは、クチバシから尾の先までがおよそ1.2m、両翼の端から端の長さがおよそ3mで、10kg以上になるそうです。

繁殖期でこの時期は見られないと聞いていたのですが、飼育されているコンドルに会うことが出来ました。でも難しいといわれる、渓谷を飛ぶ野生のコンドルを見たかった!!
みんな競ってコンドルと写真をとりました。私も・・・と思ったらコンドルは飛んでいった。ぐすん(ToT)

 

 

民族衣装を着た現地の子供たち。

窯でナンのようなパンを焼いていました。高地なので各家庭の火力が弱く、鶏をオーブンで焼くといったことが出来ず、このパンを焼くかまどで焼いてもらう為に、タクシーに乗ってそこへ出かけて焼いてもらう日本人妻の方の話がありました。
中米原産のトウモロコシはペルーには紀元前1800年頃にもたらされ、貴重な食料として栽培されました。伝統的な酒「チチャ」の原料として欠かせない作物でした。
ペルーは食材が豊かな国で、クスコ周辺の高地はジャガイモやソラマメ、小麦の産地として知られ、やや標高の低い温暖な地域ではトウモロコシ、ハーブや野菜類、さらに下の熱帯地方ではユカ芋、アボカド、フルーツなどが栽培されます。世界中どこにでもあるジャガイモはアンデス、まさにクスコ周辺が原産地。今では色も形も様々な4,000種ともいわれるジャガイモが生産されているそうです。
16世紀にヨーロッパ人によって海を渡ると寒冷地でも育つ、栄養価の高い作物として世界中の人々を救うことになったのです。

〔聖なる谷〕

クスコからオリャンタイタンボにかけての一帯は聖なる谷と呼ばれ、インカ道が続いており周辺に遺跡が点在しています。オリャンタイは遺跡を建築した第9代皇帝パチャクティに仕えていたオリャンタイ将軍の名に由来するという。ここは豊かな水に恵まれ農業に適しており大規模な段々畑が山の斜面いっぱいに広がっている。

空中都市マチュピチュ

マチュピチュの入り口といわれるマチュピチュ駅までペルーレイルの列車に乗りました。車窓からは氷河におおわれた山岳風景や急峻な断崖、ウルバンバ川沿いの深い緑と変化にとんだ景色が楽しめました。マチュピチュ駅からはバスでマチュピチュを目指します。
標高差400mをおよそ25分でつづら折りの急坂を爆走していきました。

「空中都市」あるいは「失われた都市」と呼ばれるマチュピチュがそそり立つ山の上に突然現れる石造りの都市です。参加者一同から歓声が上がりました。

1911年にハイラム・ビンガムが世に伝えるまでマチュピチュは人知れず永い眠りについていました。

 

朝起きたらハチドリがいました!
ハチドリは世界最小の鳥で、全長6cm、体重2g弱しかありません。

インカ時代の壁が残る細くて美しい路地。

パチャクテクに扮した人。カメラを向けると5$(だったと思う)と請求された。民族衣装を着た人たちは皆、観光の仕事なので、子供たちも皆、「写真撮って、写真撮って、5$」と仕事をしています。(笑)ちゃんと日本語で言われ驚きました。日本人観光客が多いのですね。

クスコの街並みを見下ろすジグザグの壁の巨大遺跡。

クスコの人気の土産物のひとつがアルパカのセーターです。
高地に生息するアルパカの毛は羊毛と比べて軽くて暖かく、肌触りがとてもソフト。山積みで売られているのはアルパカセーターではないようです。本物は専門店へ行ったほうがいいとか。
ちなみに値段は1着1万円以上するのが普通だそうです。

なぜか最後に日本食をいただきました。